YAMATO気まぐれ日記

浅岡雄也さん、Chicago Poodleなど好きなアーティストさんについて良く語っています。

杉岡君涙の告白

ライブレポの前に皆さんが気になってる杉岡君の話題から話したいと思います。

アンコールまではいつもと変わらない楽しいライブでした。
アンコールの手拍子が始まると最前列にいたファンの方達が用意していた
垂れ幕を柵にかけていました。
カメラマンさんが気を利かせてそれを映してくれたのでモニター越しに僕らも
見る事が出来ました。


そこには「杉岡君お疲れ様でした。」「これからもシカプーを応援します。」
みたいな事が書かれていました。
そして登場したメンバー達。
垂れ幕を見た杉岡君は何も言いませんでしたがぐっと涙をこらえて
アンコール1曲目の「夢」を演奏していました。


そして「夢」が終わり花沢君からの紹介で杉岡君が挨拶をしてくれました。
涙をこらえて「垂れ幕ありがとうございます。」と言い出すが
そこから先の言葉がなかなか出て来ない。
挨拶の為に立ち上がってたのですが気持ちを落ち着かせる為か座りました。
何かを言おうとしては涙で言葉がつまり言えなくなっていました。


そしてやっと話し始めて衝撃的な事実が判明しました。
1999年12月(違ったらフォローお願いします。)
尊敬していたお父さんが亡くなられたそうです。
小さい頃から音楽が好きでバイオリンに憧れて小学校3〜4年生の頃に
クラシックを習い始め中学生になってからはお父さんの手ほどきで
ギターを習い始めたそうです。
そして花沢君と出会いシカプーとして活動を始めたのですが
お父さんが亡くなられてからはいろいろと経済的にも苦しくなって
何度も大学を辞めようバンドを抜けようと思っていたそうです。


京都学生祭典で優勝した時も生活がして行けないと言う事で契約を断ったの
ですがメンバーの夢を壊したくないと言う思いもあり活動を続ける事に。
3年で答えが出なかったら辞めるつもりだったそうです。
しかし今年の6月に遂に限界が来て完全に辞める事を会社に報告。
本当は7月の「ひぃ」がラストになるはずだったのですがもう1ヶ月だけ
様子を見て欲しいと言われ今回の「ふぅ」で脱退する事になったそうです。


今後はもう一つの夢であった教師への道を歩む事になるそうです。
父親が教師だったと言う事で自分も教える事も教わる事も好きなので
教育者になろうと決めていたそうです。
自分が抜けてぽっかり穴が開くとは思うけど自分が残した音楽は
ずっと残るのでそれを聞いた時に自分の事を思い出してくれたら嬉しい
と言ってました。


そして涙をこらえてラスト2曲を演奏すると客席に降りて行き最前列の人達から
プレゼントを受け取りメンバーと固い握手を交わし4人で手をつなぎ
大きく腕を振り上げて挨拶してくれました。


覚えてる限りではこんな事を言ってたように思います。
今になって思えば今回のセットリストはやたらと杉岡君が作詞した曲が多かったですね。
杉岡君の事を忘れないで欲しいと言う意味がこめられていたのかな?
この日のライブには北海道や九州からも先輩や後輩・友人がかけつけてくれていて
約150人ぐらい来ていたそうです。
今までのシカプーのライブで最も人が多かったのではないでしょうか?
杉岡君長い間お疲れ様でした。またいつか何処かで会える日を楽しみにしていますよ。